「ドライな写真」の本当の仕掛け:中立を演じるという喜び

Deadpan Photography: Enjoying the Pretence

「ドライな写真」の本当の仕掛け:中立を演じるという喜び

「Deadpan Photography(ドライな写真)」というスタイルは、まるで客観的な記録のように見せかけながら、実は徹底的に構築された人工物です。Andreas Gurskyの《99 Cent》やBernd & Hilla Becherのグリッド写真を例に、その「中立のふり」というパフォーマンスの仕組みを解説。見る側はそのトリックに気づきながらも、あえて騙されることを楽しむ。しかし、収容所や国境の壁など、倫理的負荷の高い被写体では、その「判断を放棄する」態度が共犯関係に見えてしまう。ドライな写真は中立性の問題を可視化し、鑑賞者に判断を委ねるのだ。

ドライな写真は、中立であるとあなたを説得しようとはしない。それは中立性を演じることで、その演技と、それに気づいている自分自身の両方を楽しむことを可能にするのだ。
  1. jefc1111

    記事内の例のいくつかは、デュッセルドルフ派の写真(私が全般的に大ファンである)からのものだ。

    https://en.wikipedia.org/wiki/D%C3%BCsseldorf_school_of_phot...

    私の入門となった一枚は、シモーネ・ニーヴェグの『キャベツ畑』だ。

    https://www.dailyartmagazine.com/wp-content/uploads/2025/03/...

  2. badc0ffee

    ニュー・トポグラフィックスを思い出すが、ほとんどが白黒ではない。

  3. RattlesnakeJake

    その言葉はウェス・アンダーソンの撮影スタイルを表すのにも使えそうだ。静止したショットと中央固定の構図は、シーン内で起こっていることと同じくらい、無表情なコメディのキャラクターなのだ。

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2026-09-04